上記は2021年12月から韓国KBS局で放送している大河ドラマ「太宗イバンウォン」のポスター。
3分でわかる朝鮮国を作った太宗イバンウォン、生涯、歴史背景、関連ドラマ
500年続いた高麗国を滅ぼしてそれから600年続く李氏朝鮮国を開いたのは開祖イソンゲ(李成桂)。しかし実際に朝鮮国を作ったのはイソンゲの5男イバンウォン(李芳遠、李氏朝鮮国3代目王)と彼の政敵チョンドジョンだと言われています。イバンウォンの生涯、人物像、彼と直結する歴史的事件などを3分でわかるよう簡単にまとめました。本記事を読まれれば「六龍が飛ぶ」「世宗大王」「太宗イバンウォン」「龍の涙」「根が深い木」「チャンヨンシル」など朝鮮国創生期を扱うドラマの歴史的背景がわかるようになります。
威化島回軍

時は1388年(日本では足利尊氏が死んで30年経った頃。) 高麗王王禑は遼東半島(中国)に兵を派遣し、イソンゲを司令官に任命します。遼東半島を支配下に置き、新しく建国された明の不条理な命令をけん制するためです。1387年に元を完全に壊滅させた開祖朱元璋は高麗に対し高麗領である鉄嶺以北の割譲を一方的に通告してきました。 戦の条件が悪いので派遣命令を反対し続けるイソンゲ。しかし高麗王は彼の諫言には耳を貸さず強引にイソンゲを遼東に送り出します。
当時高麗国には百年に一人と言われる名将が二人いました。イソンゲと チョヨン(崔瑩)です。この二人は1362年に元の軍隊を蹴散らし、元の高麗侵略を終わらせる事に成功した英雄将軍たち。遼東遠征の兵士たちを自分が司令官として連れて行くと王様に願い出たのはチェヨン。しかし高麗国で一番王様に忠誠心が強いチェヨンを自分の守護神だと信ずる高麗王は彼が自分のそばを離れるのを嫌がり彼の申し出を拒絶します。
一方 威化島 (北朝鮮と中国の間にある川に浮かぶ島)まで移動したイソンゲと兵士たちは夏の暑さと疫病にやられ、それ以上前に進めなくなります。 脱走兵も毎日増加。
にっちもさっちも行かなくなったイソンゲは高麗の首都ケソン (今は北朝鮮領土。高麗人参の有名な産地。愛の不時着でユンセリが滞在した村付近) に戻る事を決断します。王様の命令を拒否する事は謀反、反逆、背信になり、処刑される運命が待っています。
どうせ殺されるならいっそ国を乗っ取ろうと開き直ったイソンゲは自分が率いた軍隊を使って王様がいる宮に攻め入ります。宮には大した兵力が残っておらず人気のない高麗王を守ろうとする民もおりませんでした。イソンゲはまず人生最大の強敵であるチェヨンを処刑します。(チェヨンはイミンホが主役を演じた韓ドラ「信義」の主人公です。)最強の邪魔者を排除したイソンゲはそれからしばらくして 高麗王王禑 とその息子昌王も処刑します。
歴史ではこの出来事を「 威化島回軍 」と呼びます。
この間イソンゲの五男イバンウォンが何をしてたかと言うと家族を避難させていました。イバンウォンは都で文官をしていたので父親謀反の情報をすばやくキャッチ。高麗王がイソンゲの家族を捕まえて人質にするのは時間の問題。すぐに動いて家族たちを引き連れて逃げたのです。ちなみに彼は16歳で科挙(国家試験、東大入試並みに難しい)に合格したほどの秀才です。
イバンウォン歴史舞台に登場
イソンゲには同志、親友と呼べるとびきり有能な仲間たちがいました。イソンゲと盟友たちは高麗の王位を無くして王様になると民の反発を招きかねないと判断。落ち着くまで高麗王族の一人を連れてきて王様にしてつなぎに使います。高麗国最後の国王恭譲王です。
しかし思わぬ誤算がありました。イソンゲの盟友の一人チョンモンジュ(鄭夢周)が裏切ったのです。 宰相 に任命された彼は 恭譲王 と結託して高麗王朝を続けようと決心。流刑にするなどあの手この手でイソンゲ勢力の力を削いでいきます。この時イソンゲは落馬して病床に臥せっていて身動きとれませんでした。昔は親友同士だったイソンゲとチョンモンジュ。国境付近で悪さをする女真族や日本海を荒らしまわる海賊と戦った戦友でもあります。イソンゲのお見舞いに行ったチョンモンジュ。病床で対談したイソンゲは「やりたいなら最後までやってみなさい。でもどうにも立ち行かなかったら私の所に来なさい」と伝えたと歴史書は記しております。
状況は圧倒的に有利なまでにチョンモンジュは持って行きます。イソンゲは僻地に追いやられるか最悪殺されかねない状態です。
この状況を打破したのがイバンウォンです。彼はチョンモンジュがイバンウォンを見舞いに行った帰り道に待ち伏せしていて刺客を使って白昼堂々彼を暗殺します。以降朝鮮立国立役者の一人として記憶される事になります。同時にイソンゲとイバンウォンの確執が始まります。イソンゲはチョンモンジュの才能を惜しんでいました。 威化島回軍から5年後の1393年です。
スーパー宰相チョンドジョン
日本でも戦国時代、明治維新と歴史の境目に異次元の巨大な人物がでてきましたがお隣朝鮮半島も高麗末期に似たような事がおこりました。典型的な人物がチョンドジョン( 鄭道伝 )です。彼は朝鮮半島の歴史上一番有能で頭がいいと今でも言われ続けています。ノムヒョン元大統領は現職時代にテレビ番組で「チョンドジョンを見習いたい」と言った事があります。
チョンドジョンは若い頃当時権力を持っていた悪徳官僚を批判して地方に流刑されましたが流刑地で農民たちの苦しい生活を目の当たりにして国は民の生活向上のためにあるべきだという哲学を立てます。15世紀初頭に彼のような農民本位の考えを持っていた政治家は恐らくほとんど存在しなかったと思われます。日本では米沢藩主上杉鷹山も民中心の政治をめざし、実現しましたががチョンドジョンの時代の400年後の人です。
流刑後に人材を求め各地を歩き回るチョンドジョンは咸興(ハムン。今は北朝鮮の咸鏡南道の道都。)にいるイソンゲを訪ね「あなたはこんな場所にくすぶっている人間ではない」といい、中央政治に参加させる事に成功。チョンドジョンの聡明さに感動したイソンゲは彼を兄弟以上に親しい人間として扱います。
チョンモンジュなき後にイソンゲは恭譲王と息子を処刑し、1393年に王様になります。そしてチョンドジョンを 宰相に任命。彼が 宰相 をしている5年間の間に首相だけでなく各省の大臣や軍部司令官を兼任し、600年続いた李氏朝鮮の政治、経済、法律、文化、芸術、軍防衛、などすべての分野の骨格を一人で作っていきます。この年に首都をケソンから今のソウルに遷都します。
歴史のいたずら
イソンゲは王様になりたい野心はあったものの政治にはたいして関心をもっていないように見えます。朝鮮半島武人史上5傑に入ると言われるほどの豪傑で根っからの軍人です。彼にはチョンドジョンを中心とした優秀な同士や盟友がいるのでめんどくさい政治は彼らにゆだねたいというのが本音でしょう。
ここで歴史舞台に登場するのがイソンゲの妻康氏。彼はチョンドジョンに接近し、自分の息子を世子(跡継ぎ)に立てるようお願いします。当然イソンゲにも頼みこみます。「ねえ、あなた、お願い!お願い!お願い!」彼女のこの欲が李氏朝鮮史史上最大のドラマを生み出す事になります。
イソンゲには二人の妻がいます。故郷ハムンの妻韓氏と都ケソンの現地妻康氏 。本妻の韓氏 はバンウォンを含めて嫡男バンウを筆頭に6人の男子を生みました。(バンウォンの弟の末っ子は早死。) 現地妻韓氏 には11歳と10歳の息子がいます。
歴史のいたずらで本妻の韓氏 はイソンゲが王に即位する前に死にます。なので即位式に王后として紹介されたのは後妻である 康氏。彼女が本筋となりその子供たちに正統の後継者という大義名分ができました。
王様の権限をなるべく制限して官僚中心で農民本位の政治をしたいチョンドジョン。10歳のバンソクを世子にすれば操り人形にして自由に政治を行えるので喜んで 康氏のオファーを受け入れます。
王子の乱1
康氏 のバンソクが世子に指定されるとバンウォンを含む韓氏の息子たちは怒り狂います。自分たちは命を賭けて父親を助けたのに何故何も知らない10歳の子供を世継ぎにしたのかと。ここでバンウォンはクーデターを決意します。ちなみに 康氏の長男イパンボンは高麗王族の嫁をもらっていたためふさわしくないとされ選ばれなませんでした。
本来候補となるべきはイソンゲ嫡男のバンウ、38歳。ただこの人は儒教を敬う精神が強く「御上(高麗国王)に逆らってはいけない。でも父上に反対する事もできない」と悩んだ末姿を消します。
次に候補になりえるのは次男バンガとチョンモンジュ暗殺で大きな手柄を立てたバンウォン。
次男バンガは軍人。父イソンゲの横にぴったりついて矢と剣の嵐の中を潜り抜けた百戦錬磨の武人。彼の不利な点はいつも父親と戦場を駆け巡っていたので都に彼を支持する基盤を作る時間がなかった事。
一方バンウォンは名家の嫁(ミン氏)をもらった事により運がひらきます。 ミン氏 の4人の兄弟が中心になって他の名家の人たちがバンウォンの周りに結束してバンウォンを担ぎ上げます。朝鮮バージョンの源頼朝と鎌倉13人です。
軍人出身のイソンゲが守る宮は強固。軍神イソンゲが配置した屈強な兵士たちです。だが宮の中から裏切者が出ました。イバンウォンの同志となった将軍イスクポンが宮の中から仲間を引き入れる事によりクーデター成功。この日バンウォンたちはチョンドジョン、イバンソク、イバンボン兄弟を殺害します。1398年の事。(ちなみにこの年の翌年に足利義満は京都の金閣寺を建立します。)(チョンドジョンはそれから400年後に国王イサンが名誉を回復します。)
王子の乱2
自分の兄弟以上に愛してやまない盟友チョンドジョンやかわいくて目に入れても痛くない幼い子供たちを無惨に殺害したイバンウォンをイソンゲは憎みます。しかし権力体制はすでにバンウォンが握っていて後の祭り。やるせなさとむなしさを感じたイソンゲは故郷ハムンに引っ込み仏門に帰依し、歴史の表舞台から消えます。
イバンウォンは次の2代目王様を自分が継がずに次男のバンガにやらせます。クーデターからいきなり即位ですと世間の見た目もありますし、儒教の国の手前目上の兄を尊重し先に立たせたのです。バンガには正統と呼べる嫡男もおりませんでしたのでバンウォンに都合がいいです。
それから2年後に第一次王子の乱で手柄をたてたパクポという人間が大功があったにもかかわらず大した褒美も与えられていないと腹を立てバンウォンのすぐ上の同腹の兄で四男のバンガンを焚きつけて王位転覆クーデターを起こします。市街戦になりますがすぐにバンウォンの兵隊たちが鎮圧。
この事件を機に兄バンガは上王となり政治を引退し、バンウォンが王様になります。1400年の事です。
王様になったバンウォンは政敵でありかつて師匠であったチョンドジョンが作った多岐にわたる法令や決まり事をそのまま使います。それをベースに豪族たちが私的に兵隊を雇う事を禁止し、国軍を整備し、国民の戸別を整理していきます。
明との関係
李氏朝鮮建国時お隣の明とは最悪な関係でした。
高麗の一部の領土を一方的に明の領土宣言した明の開祖朱元璋に対してチョンドジョンは彼を盗人呼ばわりした挑発的な手紙を送ります。これに腹を立てた朱元璋は「貴様を朕の目の前に引きずり出して土下座させる」と豪語しましたがチョンドジョンは「明に行ってもいいが兵隊も連れて行く」とやり返します。
軍事でも天才であったチョンドジョンは明の侵略に備えて国内の軍を再編成統一化していき兵力を整えます。
しかし憎きチョンドジョンがイバンウォンに殺されたというので朱元璋は喜び、すぐにイバンウォンを国王として待遇します。それまで仲が悪かったイソンゲを決して国王とは呼ばず国事と呼んでいました。一方明という強力な後ろ盾を得たイバンウォンは国内での力をさらに増します。
血の粛清1
バンウォンが王様になったことによりでかい面をして歩く妻ミン氏の兄さんたち。今のバンウォンがあるのは自分たち兄弟のおかげだと思っていますし、事実そうです。そのような姿を見たバンウォンは彼らに死罪を申し付け毒を飲ませます。そして一緒にクーデターを実行した第一功臣中7~8割くらいの同志たちにどんどん毒を賜い殺して行きます。兄さんたちの末路を見ておとなしくしていたミン氏の弟二人ですが彼らも死罪を言い渡されます。毒を飲む前に彼らは「あの世で兄さん(バンウォンの事)を待ってるぞと伝えておけ」と官吏に言い放ったとするエピソードが残っています。ミン氏は本当に不幸な人です。イバンウォンを主人公にした大河「龍の涙」で病床に臥せり死ぬ直前のミン氏をバンウォンが訪れ「すまなかった」と涙して謝るシーンがあります。
イバンウォン粛清の判断基準は極めてシンプル。自分が死んだ後に次期王様が正道を行うのに邪魔になる人物かどうかです。今はそうでなくても後々邪魔立てする可能性がでてくるかもしれないという人間たちも含めます。決して憎悪や嫌悪などではないですが大恩に対する義理もへったくりもありません。イバンウォンは官僚中心の政治など一切認めず王様主導による強権統治を目指します。
バンウォンが最も気を使った二人
イバンウォンがその生涯に身を粉にして神経を使った人間が二人います。父親のイソンゲ、それと嫡男のイジェです。
大切な人間を次々殺していったバンウォンを許す事ができないイソンゲ。だがバンウォンは心から父からの和解を願いコンスタントに使者を送ります。(使者は全員イソンゲの館にたどり着く前にイソンゲが放つ弓で殺されます。)でもバンウォンはあきらめません。そんな思いが伝わったのかイソンゲは1402年にハムンを離れ都に戻ります。和解の成立です。恐らくイソンゲ宮帰還の日がイバンウォン人生最良の日だったことでしょう。晩年は宮の中で念仏を唱える事で時間を過ごし、1408年に宮で息を引き取ります。享年73歳。
もうひとりの気を遣う相手は長男イジェ。本妻ミン氏との間に生まれた子供で世子(お世継ぎ)に指定される。彼は色とお酒と宴会と詩と絵と唄をこよなく愛する遊び人の放蕩息子です。宮の女性たちにちょっかいを出し、王族のお妾さんにも手を出した様子。官僚たちはこぞって世子廃嫡を叫びますがバンウォンはかばい続けます。そしてイジェが何か人に褒められるような事をすれば天にも上ったような気分で喜びます。
イバンウォンは兄弟の殺し合いを未然に防ぐためには何がなんでも長男を世子にしなければならないという信念を持っています。ですがイバンウォンでさえイジェの暴走を止める事ができません。イジェの女癖を咎めたバンウォンに対しイジェは「お父上こそ王位についた途端側室を10人も作ったではないか」「私が王になればお父上を放っておくと思うか」と挑発的な手紙を送ります。その晩バンウォンは悲しくて一晩中泣いたとされております。かといって子供を殺すわけにもいきません。結局廃嫡して世子の座を3男のイド(のちの世宗大王)に与えます。1418年の事。自分のやりたい事をすべて実現したバンウォンではありますが長男に後を継がせるという普通の望みを実現させることはできませんでした。彼の生涯唯一の敗北です。
イジェはイドが自分より能力が高く仁徳を備えた弟に王位をゆずるためにわざと放蕩息子を演じたと言われています。(ですがやはりミン氏兄弟の死罪が大きなトラウマになっているのではないかと思ってしまいます。イジェは幼い頃から母親ミン氏の実家で育てられ、4人の叔父さんたちと一緒に仲良く暮らして来ました。ですが特別な理由もなく殺されていった叔父さんたちの姿を見て政治の怖さと不条理を目の当たりにします。愛する人たちでさえ理由もなしに殺さなければならない政治の世界なんてまっぴらごめんだったのでしょう。)
イジェとイドの間に次男がいます。愛嬌がありバンウォンに一番愛された息子です。「僕が次の世子になるのかな?」と言った次男に対し「お前は馬鹿か?」とイジェが答えたというエピソードが残っています。バンウォンもイジェもイド(世宗大王)が王様の器である事は最初からわかっていたのです。
血の粛清2
世子の座を三男イドに座らせるとイバンウォンはイドの妻の実家を粛清のターゲットにし嫁の父親(当時の宰相 )や彼に近い人たちに毒を賜って次々殺していきます。嫁の母親や姉妹たちは全員奴隷の身分に落としました。(彼らの名誉と身分は世宗の息子文宗の時代に回復されます。)
嫁の父親シム氏にあれこれ濡れ衣をきせて死罪においやった実行犯はパクウンという大臣。シム氏は毒を飲む前に今後パクという姓の人間たちと結婚してはならぬという遺言を残したほどパクウンを憎みます。シム氏の遺言は今も生きていてシム姓の人間はパク姓の人間と結婚する事を嫌うそうです。
バンウォンの命令とはいえパクウンは復讐をびびっています。イドが王様になれば后はシム氏の娘。パクウンはシム氏の娘を離婚させ、新しい世子嫁を迎えようとイバンウォンに提案しますが、「また余に人を殺させるつもりか?」と言われはねつけられたというシーンが「龍の涙」に出てきます。
バンウォンの死
イバンウォンは1418年に王位をイドに譲ります。世子にしてからすぐにです。ですが軍部の実権は手放さなかったのでまだまだ朝鮮国を掌握していました。そしてそれから4年後に亡くなり波乱万丈の人生の幕を閉じます。1422年の事。
晩年干ばつに苦しむ民百姓のために100日間のほとんど飲まず食わずの祈祷式を行ったあとににすぐに死んだと「龍の涙」は伝えます。
イバンウォンは身近な人間はバッタバッタ殺しましたが民百姓に悪さしたという記録はありません。それと第一次王子の乱で生き残ったチョンドジョンの嫡男は殺しませんでした。当時宮で文官をしていた彼をそのまま使い続けます。
「余が死んで鬼になれば神々に私の民たちを助けてくれと頼もう」という遺言を残します。享年55歳。11人の妻、側室と29人の子供がいました。
彼の跡継ぎ世宗は善政を敷いた事で有名。李氏朝鮮国王の中では唯一大王の送り名が付けらますが善悪は別にして世宗大王の業績は彼の目の前に立ちふさがる否定的な要素を未然に刈り取った太宗イバンウォンに負うところが大きいです。
こんな話があります。李氏朝鮮はチョンドジョンがデッサンを描き、イバンウォンが色を付け、世宗大王が出来上がった絵にハンコを押した。
イバンウォン関連の韓ドラ
作品紹介
腐敗した高麗を倒し、新たな理想国家を建てるため立ち上がった6人の英雄=“六龍”の活躍を、息もつかせぬアクションやエンターテインメント感満載で描く。六龍とは、李氏朝鮮第4代王世宗が1447年に刊行させた朝鮮王朝建国の偉業を称え、初めてハングルで書かれた歌集「竜飛御天歌」第1章の最初の節に由来。主役イバンウォンを務めるのは若手スターユアイン。その他チョンドジョン(キム・ミョンミン)、プニ(シンセギョン)タンセ(ピョンヨハン)、ムヒュル(ユンギュンサン)、ヨニ(チョンユミ)イソンゲ(チョン・ホジン)、イバンウ(イスンヒョ)宜安大君(チョンユンソク)等。2015年作品。全50話。韓国ドラマ部門最高峰百想芸術大賞受賞。
「 六龍が飛ぶ 」の無料視聴の可否 無料視聴の可否
2022年1月18日現在U-Nextで放映中。無料視聴可能。

作品紹介
時は、高麗末期。弓の名手で処刑された罪人を父に持つソフィ(ヤン・セジョン)と政治高官の父を持ちながら、母が奴碑であることと、嫡男を亡くしたことの原因を押し付けられたナムソノ(ウ・ドファン)。二人は、ライバルでありながら親友でもあった。そんな中、父王に高麗を倒すために協力したが、世子は、異母弟にされ憎悪するイバンウォン。やがて三人の運命は、地獄へと変わってゆく。イバンウォンをトップスターチャンヒョク、イソンゲを過去大河ドラマでイバンウォンを2回、イソンゲを2回演じた大物スターキムヨンチョルが演じます。2018年作品。全32話。
「 私の国 」の無料視聴の可否 無料視聴の可否
2022年1月18日現在U-Nextで放映中。無料視聴可能。

イバンウォンの時代。奴婢として、母と二人で貧しい暮らしをしていた少年ウンボク。ある日、科学者として有名な父親ソンフィからチャンヨンシルという名前と天体の知識を授けられる。その後も、奴婢として厳しい仕事や差別に苦しみながら、ヨンシルは父親の影響で始めた星の観察だけを生きがいに過ごしてきた。だが期せずして、役人に科学の才能を見出され、天文観測を行う書雲観で働くことになる。やがて、後の第4代国王世宗(セジョン)と出会い、人生が大きく変わったチャン・ヨンシルの科学者への道が始まる。主演のチャンヨンシルを「朱蒙」のソンイルグク、世宗大王をドラマ「世宗大王」でも世宗を演じたキムサンギョン、イバンウォンをキムヨンチョルが演じます。全24回の大河ドラマ。2016年作品。
「 チャンヨンシル 〜朝鮮伝説の科学者〜 」の無料視聴の可否
2022年1月18日現在U-Nextで放映中。無料視聴可能。


「龍の涙」作品紹介
イバンウォン生涯の集大成は「龍の涙」。 威化島回軍からイバンウォンの死までを丁寧に描きます。全159話と非常に長いですがイバンウォンがどんな人間かよくわかります。上記のイバンウォン紹介記事もこのドラマをかなり参考にしています。李朝実録というその時代の学者たちが国の歴史書などがベース。ただイバンウォンを美化して事実を歪曲していると思われる個所は番組できちんと指摘しています。主演のイバンウォンは大御所スターユドングン。出演者たちは一昔前のスターたちが多いので知らないキャストが多いかもしれません。ドラマの面白さよりは歴史の真実性に重きを置く骨太演出。イバンウォンを知る上で過去にこれ以上の作品はなくこれからも出ないと思います。
「龍の涙」無料視聴の可否
このドラマは20年前の作品という事もあってか取り扱っているビデオ配給会社は見当たりませんでした。ただBSでよく放送されます。興味がある方はBS番組要チェックです。店舗によっては異なると思われますが私はこちらの作品をTsutayaのレンタルで見ました。159話ですので全部見るのに半年ほどかかりましたけど。又Amazonでレンタル落ちで販売もしております。
作品紹介
韓国の放送界にて「イメージが固定されていて、ドラマ化しても成功は困難である」と言われてい世宗大王を本格的に取り扱っている。全87話と長いです。前半中盤はイドとイバンウォンの確執、後半は世宗大王の功績が丁寧に描かれています。世宗大王を「チャンヨンシル」でも世宗大王を演じたキムサンギョン、イバンウォンを 「チャンヨンシル」でも イバンウォンを演じたキムヨンチョルが演じます。悲劇のヒロインでイバンウォンの妻を演じたミン氏を「龍の涙」でも同じ役を演じたチェミョンギルが熱演。この俳優うますぎます。2007年の作品。
「世宗大王」の無料視聴可否
調べた所2022年1月18日現在「世宗大王」を配給しているビデオオンデマンドは見当たりませんでした。ただこの作品はBS-TBSやBS-日テレなどBS常連なので興味のある方はBS番組欄用チェック。Tsutaya Discasなどのレンタルでも視聴可能。
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